お教室で〇〇の素を使わない理由。

癒しの料理教室ゆるり@木更津・袖ヶ浦 家主のさそうあけみです。

お料理教室で〇〇の素や顆粒出汁は使いません。

添加物がカラダに良くないからとか(この辺は多角的に見ると微妙と思っています)以前の問題です。
はっきり言えば、おいしいと思えないからです。(あ、言っちゃった・・)

久しぶりに素を使ってシチューを作ったけど

食に気をつける前は普通に使っていましたが、もう何十年も素は使っていませんでした。

ですが先日、久しぶりにおいしいと評判のシチューの素を使ってみました。普通にスーパーに売っているものです。

使い慣れている方はいろいろとアレンジするのでしょうが、わからない私は箱に書いてある通りに作りました。

そして出来上がり後、一口食べた印象は

濃い。。?

味が濃いのです。分量通りに作ったのですが、ホントにこれでいいの?と。濃厚とはちょっと違う濃さです。

う~ん、では味が濃いなら水分で薄めたら何とかなるかと。

ところが味は薄まっても舌にまとわりつくというか、後味がすっきりしない。

ホントにこの味をおいしいと思うのかな?と感じました。

私は決してグルメではありませんし、神の舌を持っているわけでもありません。

一口食べて何が入っているかとか、食材の微妙な違いは正直わからない普通の味覚です。
それでも素材の味がシチュールゥで隠れてしまう味には反応してしまった。
何を食べてもシチューの味しか感じられないのだもの。これは勿体なのでは?と。

例えば自分でホワイトソースを作るとします。
それで煮ていくと全体的にシチューの味はするのだけど、どんな野菜を食べているかわかるのです。
シチューの味の主張が強すぎない。

私は自分の口に合った食事を自分で作りたいと改めて感じた出来事でした。

なぜ手作りするの?

逆にジブンで作ると何がよいのでしょう?
時間をかけてわざわざ作る理由です。

安堵感のあるおいしさを味わえる

自作したものはおいしい。これが一番の理由です。

同じ人でも体調によって必要としているものが違うから、そこを調節できる自由さがあります。
食べたい味になったときの安心感というのは、ぜひ味わってほしいですね。

もちろんそのためにはある程度の技術は必要だけど、料理人さんになるわけでないので基本的なことで十分。

気持ちの安定

気持ちへの影響もあります。
今は食べることも作ることも数分で可能な時代ですが、ずっとそんな食生活を続けていると心がすさんでくる気がしませんか?

食べることは生きる基本だから、その基礎をおろそかにしている罪悪感がどこかにあるからかもしれません。

そこを顆粒出汁ではなく、鰹節を使いお味噌汁を作るというひとてまで
「ちゃんとしている」気分に確実になれます。

気持ちの影響は小さくないので、本当に些細でも自分を肯定できることは大事。

例えごはんとお味噌汁だけだとしても、自作したことで心を温めてくれる効果があります。

何を求めるか?による違い

手軽さを求めるなら○○の素はとても便利です。

ですが自分で手軽に作れる方法もありますし好みに調整もできます。

また出来上がりがいまいちでも自分で作ったものは許容できます。(あきらめとも言える(笑))

おいしと思えないものをあえて食べたいとは思わないのですよね。

ここは各自の価値観ですので否定する気は全くありません~。
忙しくて時間がなくて、それでも作らなくちゃいけない時はありますよね。
そんな時はホント、便利だと思いますし。

同じ理由で、価値観から私は使わないことを選択しています。
おいしいと思えないし、自分で作ったほうが口に合うようカスタマイズできるから。
そしてそれができるやり方を知っているから。

また、ジブンで食べたいものを作れる喜びは大きいです。
これよこれ!と思える瞬間が楽しい。

そんなところが理由ですね。

<癒しの料理教室ゆるり@木更津 袖ヶ浦 家主 さそうあけみ 筆>