自責は意味なし。

癒しの料理教室ゆるり@木更津・袖ヶ浦 家主のさそうあけみです。

自炊をしよう、ちゃんとしたごはんを食べよう。

そう思っていても「またコンビニに寄ってしまった・・」などできない自分を責めていませんか?

今回お伝えしたいのは「できていないジブンを責めるのは無意味」ということです。

責めることで変化できる?

なぜ無意味なのか?というと、責めても変化できないから。

どんなにジブンを責めても行動は変わらないからです。

責めるのは望む行動ができると思うからですよね?けれども行動できたとしても一瞬です。それどころか悪循環をおこします。

責めることで自分を変えようとする人は、変わらないと「まだ責め方が足りない」ともっともっと厳しく責めるようになります。

それでも変わらないと、さらに自分を責めるというようなスパイラルに陥ります。苦行ですよね。

自分の痛いところはよくわかる

実は私はこのタイプなのでよくわかります。

やらないジブンに「なぜやらないの?甘いんじゃない?」と言うのです。

さすが私。自分の痛いところはよくわかっているので、言い訳できない。

そうするとさらに追い打ちをかけるように「このままでいいと思っている?」とか言うんですよ。。(キツイ・・)

ジブンを責めて追いつめて、負の感情(恐れや不安)を使って行動させようとするのです。

怒りや不安は瞬間的には大きな力がありますが、長く使うと苦しくなって逆に動けなくなる。

長く続けたいなら、習慣にしたいのならこのやり方はうまい方法ではない。

負の感情で変化できる人は、その中から気づきを得られたから。

自分を責めたからではない。

であれば、気づき、つまり行動を変えるきっかけを得られるのであれば、自分を責めて傷つけなくてもいいのでは?と思うわけです。

自責する人は良い人だから

自分を責める癖のある人は優しい人が多い、と経験上思います。

そんな優しいあなたが自分を責めるのは得策ではないし、ひいては社会への損失であるとさえ思うのです。

自炊が今日できなかったからと言って、ダメな私とか思わないでください。

コンビニスイーツを「うっ。。」とか思って買ってしまっても良しと受け入れてください。

目的は自分を責めることではなく、変化を生むことなのですから。